シュンゲン協定に守られて ①

シュンゲン協定のシェンゲンとはどこのどんな街なのか気になって検索してみたところ、ルクセンブルクの南端に位置する小さな町だということが分かった。シュンゲンとドイツ・フランスの境を流れるモーゼル川の三国境地点に停泊した船上で調印されたことが、シュンゲン協定の名前の由来となったらしい*1。先日、そんなシュンゲン協定の参加国を巡る忘れられない旅行をしてきたので、よく覚えているうちに書き留めておこうと思う。
 

3月3日、自宅を出発し、京成上野駅から成田空港に向かった。15時ちょうど発のスカイライナーは2割程度の乗車率しかなく、COVID-19の感染拡大に伴う旅行者の減少を早くも実感することとなった。

 

当時、COVID-19の流行は中国から韓国や日本、イタリアなどの国々に飛び火していて*2、特に韓国での感染確認者の急増が注目されていた。欧州では北イタリアの一部の自治体で都市封鎖が実施されていた*3ものの、その他の地域では目立った感染の拡大は見られず、外務省の感染症危険情報も発出されていなかった。日本政府による欧州方面への渡航制限はなく、現地の交通機関も通常通り動いていた。
世界各国では、日本の感染拡大を踏まえて、日本からの渡航者に対して入国制限、もしくは入国後の行動制限の措置を取る国が徐々に増えている段階にあった*4。そのため、もし飛行機に乗っている間に新たな法令が施行された場合、あるいは自分自身が発熱した場合、現地で隔離措置を強制されるリスクがあった。しかし、当時の日本の状況とドイツ政府の対応からそのような可能性は低いと判断し、予定通りの便で出国することを決めていた。
今後COVID-19の感染がどのように広がっていくか予想することは難しいため、途中で予定を変更する必要に迫られることは想定していたが、このあと、予想以上の行程変更を繰り返すことになる。

 

成田空港第1ターミナルは前に来た時よりも空いている気がしたが、異様という程ではなかった。韓国便が何事も無かったかのように動いていることに驚きながらも、案内に従って手荷物検査に進み、流れるように出国手続きを終えた。5分もかからなかったと記憶している。

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2020/03/03 15:57 成田空港第1ターミナル北ウィングの出発便案内板 

飛行機は定刻通り出発した。エコノミークラスの乗客の多くは海外旅行に向かう大学生グループだった。普通の海外旅行は日本の空港で集合するものなのだと再認識させられる。搭乗率は5割くらいだっただろうか。幸い、隣もその隣の座席も空いていたので、アブダビまで使わせてもらうことにした。後ろのグループは、パリで何をするか話し合っていた。
アブダビ国際空港でのトランジットを経て、今度はフランクフルト行きに乗った。機内はドイツ語を話す人たちでいっぱいだった。前の便にはたくさん乗っていた日本人観光客はどこへ行ったのだろうか。

 

3月4日の朝7時頃、定刻通りフランクフルト国際空港に到着。日本からの渡航者ということで、何か特別な対応が待っているのではないかと身構えていたが、イミグレでは何も聞かれなかった。持ってきたSimをスマホに挿入し、DB Navigatorアプリが問題なく使えることを確認したのち、さっそくS-BahnでMainzへ向かった。
Mainzの街中をぶらぶら歩いた後は、ICでHeidelbergへ向かった。Heidelbergでは日本人観光客を10人くらい見かけた。旧市街を一通り歩き回った後、16時頃のTGVでStrasbourgに向かい、駅近くのアパルトマンに泊まった。

 

3月5日は一日Strasbourgを歩いた。パリ行きのTGVが脱線した影響で駅構内が混雑していたことを除けば、特に変わった様子はなかった。日本人観光客もちらほら見かけた。夜は時間が余ったので、一日券を使って意味もなくトラムで国境を越えてみたりした。

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2020/03/05 18:53 Kehl-Bahnhof停留所

3月6日の朝もStrasbourgを観光し、午後にはTERでColmarへ向かった。Colmarでは木組みの建築群で知られる旧市街を散策した。駅前の自転車屋が営業しているか心配だったが、たまたまやっていたので、自転車を借りるついでに荷物を預かってもらった。18時頃に駅に戻って自転車を返却し、TERとICを乗り継いでチューリッヒ中央駅に行き、そこからオーストリア国鉄が運行する夜行列車・Nightjetに乗ってウィーン中央駅に向かった。

 

3月7日、眠気の冷めぬまま朝6時にウィーン中央駅に放り出されて駅構内を彷徨い歩いていると、突然、背後から日本語で呼びかけられた。海外で日本語で話しかけられたら必ず詐欺だと疑うようにしていたので、睨みつけるかのような形相でとっさに振り返ると、これから合流する予定の同行者の一人が笑顔で立っていた。どうやらチェコから夜行バスで来たらしい。このあと残りの同行者ともウィーン中央駅で合流する予定だったので、2人で近くのカフェに入り、朝食を食べながら先に今後の旅程について話し合うことにした。

 

ここまでの行程は順調そのものだった。